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東紀州は、古くは「熊野」といわれ、古事記や日本書紀に数々の神話の舞台として登場する。豊かな自然に恵まれたこの地域を南北に縦貫する熊野古道は、かつては厚い信仰の道として遥か遠国からも参詣者や巡礼を集め、一時は「蟻の熊野詣」と称される賑わいを見せた。現在、その多くは国道や県道に整備され大きく姿を変えたが、一部には難所ゆえに開発の波から逃れ、往時そのままの美しい石畳や景観を残すところも多い。
熊野古道は、「伊勢へ七度、熊野へ三度」と伝わる通り、伊勢参りを済ませた旅人の多くが、熊野詣や西国巡礼へと向かった街道であった。人々は玉城町の田丸で巡礼の装束に身を改め、苦行の道へと旅立って行った。
女鬼峠
多気町の成川の先にあり、熊野詣の旅人が最初に出会う峠道であった。江戸時代には祢(ね)き峠とも呼ばれ、峠を越した辺りに「南無阿弥陀仏」の名号碑(みょうごうひ)が残る。
三瀬坂峠大宮町の三瀬川から滝原に抜ける峠道である。明治20年の熊野街道の大改修により宮川の渡場が替わるまでは往来の要所であった。峠には茶屋跡と地蔵が残り、峠を降りると滝原宮が近い。
ツヅラト峠
九十九(つづら)折れの名の通り、狭い谷あいを幾重にも折れ曲がる峠道である。
伊勢から熊野詣に転じた旅人にとって、ツヅラト峠は菩薩の住まう補陀落(ふだらく)の国の入り口を意味した。峠からは熊野灘の海が遠望できる。旅人は峠を下り赤羽(あかば)川のほとりで身を清め、歩みを進めたと云われる。
江戸の初期、東長島の港が整備され、多くの物資輸送を担う荷坂峠が開かれるまでは、古道は現在のR42号から西へ大きく迂回し、大内山の栃古(とちこ)からツヅラト峠を越え、紀伊長島の志子(しこ)に通じていた。
周辺には、大原不動堂や導き観音(円通閣聖観音)、有久寺(ありくじ)温泉、レクリエーション都市孫太郎などがある。ツヅラト峠へのアクセス
JRなら大内山の梅ヶ谷(うめがたに)駅か紀伊長島駅から。
梅ヶ谷駅から徒歩なら駅の直ぐ北、大内山塾の角を左折して県道に入り栃古で更に左折して林道に進むと峠まで標識が導いてくれる。同じく大内山側から車なら、梅ヶ谷駅北側「熊野古道」の標識のあるR42号交差点を西に折れて県道に入る。
紀伊長島駅から徒歩なら、高校の北側をR42号へ進み、トンネル寄りの国道沿いにある書店の角を西に入る。田山坂を抜け田山口バス停からR422号へ。志子橋手前の古道の標識を右手に入り、ほぼ志子川沿いに進む。車なら赤羽川北詰め「熊野古道」の標識のあるR42号を西に折れる。
梅ヶ谷駅から紀伊長島駅まで徒歩約3時間30分、約9kmの行程である。
始神峠(はじかみとうげ)
峠から馬瀬(うまぜ)まで明治にできた歩きやすい道で、当時は荷車も通れるようになっていた。
峠から眺める志摩半島や点在する島々は、「紀伊の松島」と呼ばれ絶好の見所となっている。
周辺には、豊浦神社や高塚公園展望台があり、リアス式海岸が一望できる。始神峠へのアクセス
JRなら紀伊長島の三野瀬(みのせ)駅か海山の船津(ふなつ)駅から。
三野瀬駅から徒歩ならR42号を進み、三浦の宮川第2発電所の手前を入り江沿いに回り込むと登り口の標識が建つ。標識の近くに駐車場も準備されている。
船津駅からは、R42号を馬瀬の大船橋で西に折れ、町道から林道を継いで行くと宮谷池を経由して峠道となる。
三野瀬駅から船津駅まで徒歩約2時間40分。約9kmの行程である。
馬越峠(まごせとうげ)
東紀州の熊野道を象徴するような美しい石畳道が随所に残っている。石畳は江戸時代には整備が整ったと伝えられる。馬越峠の標高は約325m。峠道の一帯は、銘木で知られる見事な尾鷲ヒノキと一面のシダの海となっている。
峠道の途中には、夜泣き地蔵や馬越一里塚跡、可涼園桃乙(かりょうえんとういつ)の句碑など史跡も多い。
峠から登る天狗倉山(てんぐらさん)は、尾鷲市街や八鬼山方面が一望できる。種まき権兵衛の里や魚飛渓(うおとびけい)、土井竹林も近い。種まき権兵衛は実在の人物で鉄砲の名手。大蛇退治は有名である。まいた種を幾度カラスについばまれてもくじけず村一番の篤農家になったという。馬越峠へのアクセス
JRなら海山の相賀(あいが)駅か尾鷲駅からとなる。
相賀駅から徒歩ならR42号を尾鷲方面に進み、古道の案内標識のある鷲毛(わしげ)バス停からが登り口となる。車なら「道の駅海山」からが便利である。
尾鷲駅から徒歩なら市街地を抜け、尾鷲神社手前の古道の標識のある交差点を北に入ると登り口となる。車ならR42号の古道の標識のある坂場交差点を東へ入り、港へ向かって真っすぐ進むと先ほどの尾鷲神社に出る。
相賀駅から尾鷲駅まで徒歩約2時間30分。約6.5kmの行程である。
八鬼山越え(やきやまごえ)
昔から「八鬼山は西国一の難所」といわれる通り、海抜0mから峠の627mまでをほぼそのまま上り下りする健脚向けのコースである。
「ままになるならあの八鬼山を鍬でならして通わせる」。起点となる尾鷲節の道標は、江戸末期の悲恋を今に伝えている。
尾鷲節道標から登り始めると、三木峠までの間に八鬼山に象徴的な町石(ちょうせき)が目に付く。町石は伊勢信仰を広める御師(おんし)が伊勢参詣から熊野詣に転じた人々の旅の安全祈願と矢ノ浜から峠まで一丁(町)ごとの距離を示す里程として設置したと伝わる。峠までの約五十町に五十体あった町石も現在では三十数体となり順番や間隔も不規則となったが、今でも道往く人々を見守ってる。
峠道の途中には、七曲りの急勾配や山賊退治の昔話が残る三宝荒神堂(さんぽうこうじんどう)がある。
八鬼山の山頂に作られた桜の森エリアからの眺望は絶景であり、昼食や休憩場所に最適。山頂からのルートは明治道と江戸道の二本となる。
周辺には、夏場は格好の海水浴場となる三木里(みきさと)海岸がある。八鬼山越えへのアクセス
JRなら大曽根浦駅か三木里駅から。
大曽根浦駅から徒歩なら、尾鷲節の歌碑を兼ねた道標が登り口の目印。車ならR42号を古道の標識のある矢ノ浜交差点で海側に折れ、東邦石油の横を抜けると尾鷲節の道標に出る。駐車場は道標先に若干のスペースがある。
三木里駅から徒歩ならR311号を九鬼(くき)方面へ進み、古道の標識を北へ折れると一本道で登り口となる。車ならR42号を矢ノ川(やのこ)トンネル南の交差点で案内標識に従い海側に折れ、県道を賀田(かた)まで下る。突き当たりを左折し、賀田から三木里まで進む。
大曽根浦駅から三木里駅まで徒歩約4時間10分、約11kmの行程である。
曽根次郎坂(そねじろうざか)・太郎坂(たろうざか)
曽根から急な登り坂を詰めると、甫母(ほぼ)峠のほうじ茶屋跡に着く。茶屋跡から甫母に下る道もある。峠から二木島の猪垣記念碑の近くまでは、緩やかな上り下りの稜線の道となっている。
所々、自然林の間から熊野灘を垣間見ることができる。
次郎坂・太郎坂の名の由来は、中世の頃、甫母峠が志摩と紀伊の国境をなしたことから、曽根の自領(次郎・志摩の国)、曽根の他領(太郎・紀伊の国)が訛り伝わったとされている。
周辺には、曽根城跡、飛鳥神社などがあり、南の関所前から古道と平行に続く猪垣も見られる。
二木島には豪快な景観の楯(たて)ヶ崎や鯨の供養碑、キリシタン灯籠などがある。曽根次郎坂・太郎坂へのアクセス
JRなら賀田駅か二木島駅から。
賀田駅から徒歩なら、R311号を梶賀方面へ向かうと登りの標識がある。車ならR42号を矢ノ川トンネル南の交差点で案内標識に従い海側に折れ、県道を賀田まで下る。突き当たりを右折すると登り口まで10分とかからない。R42号から曽根まで車で約20分。
二木島駅から徒歩なら駅を出て逢川を渡るとすぐに古道の登り口。車ならR42号の大泊交差点からR311号へ入り二木島へ。大泊から二木島まで車で約30分。
賀田駅から二木島駅まで徒歩で約2時間10分、約5kmの行程である。
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